生島足島神社

古文書

 今注目を集める戦国武将、真田幸村。この真田家が本拠地とした上田地方(東信濃小県郡)は多くの戦国武将が群雄 割拠する歴史的要地であり、当社生島足島神社は戦国の雄、武田信玄をはじめ、真田昌幸(幸村の父 )、真田信幸(幸村の兄、初代上田藩主)の尊崇が特に篤い神社でした。

 

~戦国史の貴重なる資料・国指定重要文化財「生島足島神社文書」全九十四通~

信豊公起請文

・武田家臣団起請文全八十三通

 甲斐・信濃国内の家臣団に信玄への忠誠を誓わせた文書。熊野牛王宝印の裏に署名され、花押・血 判されたものでその家臣の数は二百三十七名にのぼります。そのほとんどが永禄十年(1567年)八月七日、八日に作成されており、同時に奉納された起請文がこれだけの多 数、現在に伝わっているのは全国でも例をみません。
(右は武田信豊公起請文) 

 

 

武田信玄願文

・武田信玄願文

 宿敵長尾景虎(上杉謙信)との決戦を前に戦勝を祈念した願文。信玄・謙信一騎打ちで有名な川中 島合戦の二年前の永禄二年(1559年)に奉納されました。 

 

 

 

 

真田昌幸朱印状

・真田昌幸朱印状

 武田家滅亡の後真田家が上田領主として独立していたことがわかる資料です。 

 

 

 

 

 

~戦国時代を生きぬいた名君主 真田信幸公~

信之公肖像

 真田家というと「真田丸」で有名な真田幸村(信繁)、二度徳川軍を苦しめた真田昌幸に注目が集ま りがちです。しかし、徳川家に背いた信濃の国の小さな戦国大名が江戸時代を独立して生き残りえた ことを鑑みますと、昌幸の嫡子、また幸村の兄である信幸の果たした業績は計り知れません。豊臣家 についた父・弟と徳川家についた兄は敵同士となりながらも一族独立のためまた真田家名誉のためそ れぞれの生き方を全うしました。

(右写真 信之公肖像 真田宝物館所蔵)

 昌幸の後、上田領主となった信之(徳川家忠誠の印として「幸」を「之」に改名)は昌幸の施した良 政を受け継ぎ元和八年(1622年)松代藩へ移封されるまでこの上田の地を治めました。
生島足島神社文書の中に真田信之(信幸)の寄進状・朱印状が二点存在します。
 

 

信之公寄進状

 この寄進状は慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年、慶長六年(1601年)に寄進されたもので、信之がこの上田地方の治安回復と 政権確立に尽力したことがわかる資料であり、この地方では最高額の四十貫文をこの生島足島神社( 下之郷大明神)に寄進するとあります。 

 

 

摂社

朱印状は慶長十三年(1608年)に造営料十五貫文を預け置くとしており、その後慶長十五年(1610年)に下之郷諏訪大明神の社殿として改修・造営され寄進されました。(現在の摂社諏訪社社殿、県宝指定 左写真)これらから信之がいかに生島足島神社に対し尊崇の念をもっていたかがおわかりいただける事と思います。

武田信玄とその家臣団、また真田家がいかに戦国乱世を生き抜こうとしたか、生島足島神社文書は戦 国武将たちの生き様を現在に語り継いでいます。 

 

 

生島足島神社文書は現在歌舞伎舞台内にて写しが展示されております。(入場無料)

歌舞伎舞台展示

 
[要予約]境内・生島足島神社文書 当社職員によるご案内
20160821-shatou_anai02.jpg
事前予約制です 社内手配の都合上、お早目にご連絡願います
年末年始、土日祝日(特に秋)、当社祭典日等 ご希望に沿えない日時がございます
・所要時間は30~40分程度です(御行程をお伝え頂けると幸いです)
・一団体、グループ殿 10名程度からお受けいたします
一人あたり 初穂料300円 を目安にお納めいただきます
※正式参拝(昇殿参拝)とは異なります 別途お問合せください

(管理者)